庶民と世界平和

作者ダイアリー

この世界が、
みんながにこにこわらっていられる、
そんな平和な世界であってほしいと、
思っています。

わたしは、
悲しいニュースを目にするたびに、
思うことがあります。

「世界が平和か否か」は、
なんだかとても、
とおいところできめられているみたい、
ということです。

世界をうごかしているのは、
政治家さんとか、活動家さんとか、
ジャーナリストさんとか、お医者さんとか、
そうゆうおおきなことを
きめられる立場にいる人だけなんじゃないかって。

そういう特定の人しか、
世界の平和に影響することは、
できないんじゃないかって。

わたしがこのちいさな部屋で
悲しいニュースに「やめようよ」って思っても、
それは、ここで思っているだけで、
なんの影響もないんじゃないかって。


わたしは、庶民です。
ちいさな町のちいさな部屋にすんでいて、
すこしでも安いお米をさがして
スーパーをはしごするようなふつうの人です。

SNSも、パソコンも苦手です。
名前をしっているのは仲のいい友達くらいと、
知名度も低い。
政治や世界情勢の専門知識もなく、
もちろん、
先頭にたって声をあげる度胸もありません。

でも、

そんな庶民の自分でも、
世界の平和のために、
できることはないのかと、
かんがえてみたのです。

世界にたくさんの人が生きていれば、
いろんな考え方があって、
みんながそれぞれ「正しい」と思うことをする。
それは、みんな同じです。

だから、
かんたんに否定できることでは
ないのかもしれません。

でも、
そもそもみんなが、
にこにこわらって毎日を生きていられたのなら、
あえて「正しさ」をつよく主張する必要って
なくなるのかなあなんて、
思ったのです。

もし、

わたしが自分の近くにいる人を、
すこしでも幸せにできたなら、
その人はきっと、
その人の周りの人を、
幸せにできるようになるでしょう。

その人の周りの人が幸せになったら、
その人の周りの人の周りの人を、
幸せにできるようになるでしょう。

その人の周りの人の周りの人は、
その人の周りの人の周りの人の周りの人を、
幸せにできるようになると思うのです。

そうやって、
波のようにつたわって、
たくさんの人が幸せになったら、
だれかがつらい思いをしてまで、
「正しさ」を主張する必要は、
なくなっていくのではないかと、
わたしは思うのです。

そして、

世界のほとんどの人が幸せになったら、

いつか、

おおきくてつよいものを、
うごかせる日が来るのではないかと、
思うのです。

命をかけて決断している人たちがきいたら、
「そんなに簡単じゃない」
とか、
「根拠がない」
とか、
おこられてしまうのだと思います。

でも、
わたしのするちいさなことを、
いつかなにかにつなげることができたらと、
庶民ながらにねがっているのです。