先日、
とある冊子の読者投稿コーナーに、
「もし もどれるなら、何才にもどりたいですか?」
という質問がありました。
そこで、かんがえてみました。
わたしには、
「われながら、とおまわりしちゃったな~。」
とかんじる 何年かがあります。
もし、
その とおまわりする前にもどれたら、
わたしは その道をえらばないのかしらん?
と。
わたしは、
なかなか結果を出せないながらも、
その時、その時で、
けっこう一生懸命、
道をえらんできたなあと 思っています。
だから、
大変なこともあったけど
正直、後悔はしていません。
とおまわりする前に もどれても、
おなじ条件で あの時にもどるのだったら、
結局、また一生懸命かんがえて、
もう一回 とおまわりの道を
えらんじゃうんだろうなって 思いました。
だから、わたしのこたえは、
「もどりたい時は、ありません。」
でした。
でも、
とおまわりにも いろいろあります。
じぶんで道をえらべるならば
まだいいです。
人生をふりかえってみると
「いや~、それはさすがに、
わたしのせいじゃないでしょう~。」
って いいたくなる
とばっちりのような とおまわりも、
実際のところ ありました。
それはもう、
しょうがないかもしれません。
ぜんぶがぜんぶ、自分のいいように
世界を動かせるわけではありません。
それは みんな、平等ですからね。
でも時には、
そんな するしかなかった とおまわりが、
あまりにも とおすぎて、
「かんべんしてよ…。」
と、思ってしまうこともありました。
「とおまわりしたな」って思えることは、
ある意味、
いいことでも あるのかなと思います。
だって、
「とおまわりしたな」と思う時は、
だいたい
「とおまわり」が もう おわっていて、
思いかえしている時かなと 思うからです。
わたしが とおまわり まっただ中の時は、
どこにつづいているのか わからなくて、
なんのために歩いているのか わからなくて、
ただもう えんえんと、
歩くしかないという かんじがしていました。
そして 今は、
とおまわりをしてしまう だれかが、
すこしでも その道を
ショートカットできることを
願える自分になっています。
ふと、思います。
こんな自分になることが
わたしの目的だったのならば、
とおまわりした道は、
ぜんぶ 最初から、
人生のシナリオに書かれていたこと
だったのかもしれないなって。
そしたら とおまわりも、
結局、ほんとうの道だったんだなって。
もちろん世界には、
本当に 起きてほしくないつらいことが 山ほどあって、
それを、
「あっても良かった。」
と、いっているわけではありません。
わたしにも、
「あれがなければ、どれだけ楽だったか。」
と、思うできごとがあって、
それを「あって良かった」とは、
どうしても思えません。
ただ、
今の条件の中で、
「どう生きていくのか。」
と、かんがえてみただけなのです。
とかく、
ただしいとか まちがってるとか、
いいたくなっちゃいますよね。
でも、結局、
道は ぜんぶ、
たんなる道なのかもしれないですね。

