E.W.8 自信について・前編「自信はどこからくる?」

エネルギーワーク

こちらの記事をおとずれていただいて、
ありがとうございます。

今回は、
わたしにとっても長年のテーマであった
「自信」についてのお話です。

「自信」って見えないものなので、
自分に「自信がない」ことはわかっていても、
「どうやってつければいいんだろう?」って、
思ってしまいますよね。

こちらでは、
そんな「自信」について、
わたしが思う考えと、
エネルギーワークでの視点について、
今のわたしが、経験し学んだ範囲で、
考えていきたいと思っております。

今回はその前編、
「自信はどこからくる?」
です。

先ほどもふれましたとおり、
「自信をもつ」ことは、
わたしの大きなテーマでした。

わたしの場合、こんな流れでした。

①声が出ないから、表現に自信がなくなる。
②表現活動がすすまないから、生き方に自信がなくなる。
③人生に自信がないので、存在そのものにも自信がなくなる。

自信がないと臆病になるので、
どんどん連鎖していってしまうのですかね。
ずいぶん、とおくまで、
行ってしまっていたなあと思います。

もちろん、
自信をなくしたことにも理由があって、
自信がないからといって、
「だめだ」とか「おとっている」とか、
そういうわけではないと思います。

でも、
自信がないと感じている方の多くは、
きっと心の底で、
「自信にあふれた自分になりたい」と、
切に切に、願っているのではないかなあと思うのです。



では、さっそく、
「自信」って一体なんなのか、考えていきましょう。

まずは、
スマホで「自信」という言葉をしらべてみました。

◎自信
=自分の能力・判断・価値を、信じていられる気持ち

だそうです。

たしかにそうですよね。
自信がある人は、
むずかしい仕事に挑戦できる、 
はっきり意見を言える、
たとえ失敗しても、
「失敗しちゃった~」と堂々と言える、
そんな気がします。

自分の能力・判断・価値に、
引け目を感じていないから
できることかもしれません。
…うらやましいです。

特に「能力」は、
自信につながりやすいですよね。

実際に、自信をなくしていたころのわたしは、
「声が出るようになれば、自信がつくんだ。」
と、思っていました。

だれだって、
なにかのスキルが、人よりバツグンにできれば、
当然、自信はつくだろうと思いますよね。

でも、よく考えてみると、
それじゃあ、声が出るようになるまでは、
「自信がない」状態がつづいてもしかたがない
ということになるのでしょうか。

まわりを見まわしてみると、
自信をもって生きておられるような方が、
必ずしも、
とびぬけたスキルをもっておられるというわけでは
ないように感じます。

なにかが、ちょっとちがう気がします。


わたしの考えなのですが、
「自信がある」状態になるためには、
2つの側面があるのかなと思っています。

それは、「第三者」と「自分」です。

「第三者」は、
だれかの自分への評価が自信を作るということ、
つまり、まわりがくれる自信です。

小さな子どもは、
できてもできなくても、
自分の言ったこと・やったことを、
まわりの人が受け入れてくれることで、
「自分という存在」に自信をつけていきます。

大人だって、
仕事でほめられたり、
自分の作品が受賞したりすれば、
自信がつきますよね。

自分の能力や判断を、
まわりの人が受け入れてくれるということは、
自分の存在を肯定してもらうことになるので、
自信がつくのかもしれません。

そう考えると、
多少、自信がなくても、
ときには思いきって提示してみることが
大切なのだなあと思います。

だれかがほめてくれれば、
自信をつけるチャンスになりますから。

そして、
ほめてもらったときには、
「そんなことないのに…。」
と、ちぢこまらずに、
「そっか、そうゆうふうに思ってもらえたんだ。」
と、素直に受け入れられる自分でも
ありたいものですよね。



さて、
まわりの評価はたしかに大切ですが、
そればかりを基準にしていると、
うまくいかなくなることもあります。

たとえば、
評価されないことが、つづいた場合です。

人とちがうことや
むずかしいことを始めたときなどは、
最初のうちは、
思うように評価されないこともあると思います。
でも、それで、
すぐに自信を失ってやめてしまったら、
せっかくのあたらしい挑戦が、
もったいないですよね。

そこで、
育てておきたいもう1つの大切な側面が、
「自分」なのかなと思います。

自分が、
腹の底まで「いい・正しい」と思える基準、
「自分軸」をもつということ、
つまり、自分の中から生まれる自信です。

第三者の評価は、
「その人が、その人の価値観でどう思うか」
という意見なので、「他人軸」ですよね。

ここで、一度考えてみてほしいのが、
人の評価は大切だけれど、
すべてではないということです。

たとえば、
子どもには大人の本が「むずかしすぎる」
大人には子どもの本が「わかりやすすぎる」
と、感じることがあるのは当然ですね。

これは、
単純に年齢による価値観のちがいが原因で、
作品のできとは関係がないと、
想像できると思います。

それなのに、
大人むけの本を書いている人が、
「子どもに評価されなかった…。」
といって自信を失っていたら、
「…それは、気にしなくていいんじゃない?」
と言いたくなりますよね。

まあ、これは極端な例なのですが、
つまり、なにが言いたいかというと、
人はそれぞれの価値観で自由に評価しているので、
その意見を「参考」にすることはできても、

「他人の評価=わたしの自信の度合い」

とは、言いきれないのでは?
ということです。

もちろん、
自分が自信を失っているときに、
第三者のはげましの言葉で、
自信をとりもどせることもあります。

また、童話賞などでは、
専門家の方が深い知識をもって、
公平に評価してくださっているので、
的を射ている意見も多いはずです。

だから、
その都度、その都度、
もらった言葉を自分の基準で、
冷静に誠実に、
判断していく必要があるのかなと思うのです。

自分軸がしっかりしていれば、
うまくいかなくて落ちこんだときも、
すぐに、もとの自分がいるべきラインにもどれる、
そんなふうに自信を失わずに、
おだやかに暮らしていけるのでは
ないかと思うのです。



では、
「自分軸をもつ」とは、
どんなことなのでしょうか。

わたしが思う「自分軸をもつ」とは、
現在の自分が、
腹の底まで「いい・正しい」と思えることを、
提示できることなのかなと思います。

たとえば、
友達に「今度の日曜、あそびに行かない?」と
言われたとします。

でも、その日は、
自分が資格をとるために
勉強をしようと思っていた日でした。

都合をつけようと思えばつけられる。
でも、どうしよう?
ということがあったとします。

自分軸がはっきりしていないと、
自分より相手の意志を優先して、
「さそってくれたのにわるい」とか、
「がっかりさせちゃうかも」とか考えて、
ほんとうは勉強がしたいのに、
「いいよ」と言ってしまうことがあります。

自分軸がはっきりしていると、
わたしが「いい」と思う基準が先行します。
「今は、資格の勉強を優先したい」
と思えば、ことわることもあります。
その友達とあそぶことが、
「勉強をほかの日にしてもいい」と思えるほど大切ならば、
もちろん、あそびに行ってもいいのです。

おなじ「あそびに行く」を選んだ場合でも、
前者はちょっとモヤモヤしますが、
後者は思いきりあそべますよね。

自分が「いい」と思うこと、
つまり「ほんとうのきもち」をふまえて
選択しているので、
心の滞りが生まれにくいのだと思います。

そんなふうに生きていると、
たとえうまくいかないことがあっても、
「自分がいいと思っているから、いいんだ。」
という確信のようなものが、
自信をささえてくれるのではないかと思います。

もちろん、
「ほんとうのきもち」だからといって、
つよくふりかざして、
まわりの方をきずつけてはいけないと思います。

先ほどの例で言えば、
「さそってくれてありがとう。
でも、その日はやることがあるから、
また今度にさせてもらっていい?」
と、自分を理解してもらえるよう
つとめたいところですよね。



さて、そうなると今度は、
自分の「ほんとうのきもち」ってなんだろう?
と、感じる方もおられるかもしれません。

大人になって、社会とかかわっていると、
しらないうちに、
「ほんとうのきもち」を、
見失ってしまうことがあります。 

「まわりにあわせるために」
「社会人としての常識だから」
わたしは、そうやって判断をすることも、
自分をまもるための手段だと思っています。

でも、
それを無意識につづけてしまうと、
やがて「ほんとうのきもち」がわからなくなり、
生きづらくなってしまうこともあるのだと思います。

ちなみに、
わたしが完全に自分軸を見失っていたころには、
さっきの例で言えば、
「日曜日は、資格の勉強がしたい。」
という発想すらありませんでした。

スケジュール帳は、
仕事とまわりの人の都合が最優先。
自分のことは、
それ以外のわずかな時間にやり、
できないことはあきらめていました。
「100%他人軸」、……つかれて当然ですね。

「ほんとうのきもち」は、
「頭」ではなく、
「お腹」が「これでいい」と思えるきもちです。

必ず、自分の中にありますので、
意識して目をむけ、つよく育てていきたいですね。

エネルギーワークで自分軸を考えるとき、
大切になってくるのが、
「丹田(たんでん)」と
「センターライン」だと思います。

丹田は、
おへその下あたりにある丸いエネルギー、
センターラインは、
身体の中心を縦にまっすぐ走る線です。

この2つを育てておくことで、
「わたしは、これがいいと思うからこうしたい。」
という「意志」がさだまり、
ブレずに行動できるようになるのだと思います。

そして、そこに、
第三者の評価がプラスされれば、
さらにつよい自信を、
もてるようになるのではないかと思うのです。

ちょっと長くなりましたが、
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
丹田とセンターラインについては、
後編でご紹介していきたいと思います。

    →「自信について・後編  丹田とセンターラインのこと」へ続く。